2024-09-08 HaiPress
東京都葛飾区の自宅で1996年に上智大4年の小林順子さん=当時(21)=が殺害された事件は9日、発生から28年を迎える。小林さんは大学のサークル活動で、新潟県内の中学生に英語を教えていた。教え子たちの心には、気さくで優しかった姿が今も残る。(米田怜央)
「生まれも育ちも葛飾・柴又のばりばりの江戸っ子です」「まだ18才という若者だから、先生なんて呼ばないでね」。手作りのテキストに、小林さんの明るい自己紹介が載る。
新潟県の中学校で、小林さん(中)から英語を教わる斎藤さん(右)と丸山さん=斎藤さん提供
「大人の女性に見えたが、フランクに接してくれた。学校の授業より楽しかった」。斎藤拓也さん(45)=新潟市=は、中学2年の夏休みに受けた課外教室を振り返る。
英語劇をして、洋楽を歌った。わずか5日間だったが、終了時には指導役のほかの学生と一緒に寄せ書きをくれた。水泳部での活動も応援してくれた「明るくて元気な人」だった。
同じ教室に参加した丸山亮太さん(45)にとっては、英語を好きになるきっかけだった。「姉ちゃんみたいな感じ」だった小林さんを「順子」と呼び、手紙のやりとりを続けた。高校受験前には「適度な息抜きも必要だよ」。進学後には「自分のやりたい事を見つけて一生懸命すすんで欲しいです」。いつもメッセージがびっしり書き込まれていた。
英語教室で斎藤さんが小林さんからもらったカセットテープや使用したテキスト=新潟市で
出会いから2年以上たった96年。「アメリカに留学することになったのだ!」と年賀状が届いた。渡米の2日前、事件が起きた。「アメリカに手紙書いてね」との求めには、応えられなくなった。
毎年命日のころに思い出しながら、事件との関わりが薄れていた2人に昨年、変化があった。斎藤さんが自宅で、古いカセットテープを見つけた。収録されていたのはカーペンターズの代表曲「トップ・オブ・ザ・ワールド」。小林さんが英語の勉強のために贈ってくれた。楽しかった教室の思い出がよみがえった。
新潟県の放送局で記者として働く斎藤さん=新潟市で
新潟県内の放送局で記者として働く中で、北朝鮮による拉致被害者の家族から「風化が怖い」と何度も聞いていた。縁遠かった東京の事件にも「埋もれている情報があるかもしれない。できることをしたい」。付き合いが途絶えていた丸山さんらに取材し、小林さんをしのんで事件解決を願う記事を書いた。
昨秋にインターネットで報じると、小林さんの父の賢二さん(78)が読んで交流が生まれた。賢二さんは「人とのつながりを大切にする娘だったと改めて知ることができた」と話した。
斎藤さんと丸山さんは8日、小林さんの自宅跡を初めて訪れる。供養のために建てられた地蔵に手を合わせるつもりだ。「離れた新潟にも順子さんのことを思う人がいる。早く解決してほしい」
◇
小林順子さんは事件時、自室にいて犯人の侵入に気づいたとみられることが、捜査関係者への取材で分かった。
捜査関係者によると、2階自室の2枚合わせの引き戸のうち、家具があって出入りができない引き戸が20〜30センチ開いていた。生前の小林さんは自室から階下に声をかけるとき、出入りに使わない側を少し開け、顔をのぞかせるようにする習慣があったという。犯人の侵入に気づいた小林さんが、階下の様子をうかがった可能性がある。
事件は1996年9月9日午後3時50分〜4時40分ごろに発生。東京都葛飾区柴又3の2階建ての自宅に1人でいた小林さんが、首などを刃物で複数回刺されて死亡し、室内に放火された。遺体は自室の隣の部屋で見つかった。
犯人は血液型がA型の男。現場周辺では黄土色っぽいコートの身長160センチ前後の不審な男が目撃されている。情報提供は警視庁亀有署=電03(3607)0110=へ。(鈴鹿雄大)
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