2024-10-20 HaiPress
日本橋川のクルーズ船から常盤橋門の石垣を見る田中優子さん=千代田区、中央区で
浮世絵師の歌川広重が描いた「名所江戸百景」のおよそ8割には川や堀、海などの水が描かれている。江戸は水の都であり、人々は五感で水を感じながら暮らしていた。今回はクルーズ船に乗り、日本橋川、神田川などの水路の旅へ。
青銅製の麒麟(きりん)の像がある、天下の日本橋の下に乗船場があり、水路を行き来する遊覧船が発着している。乗合船もあり、利用客は年間5万人にもなる。知る人ぞ知る観光コースだ。
乗合船のひとつ、「日本橋クルーズ」が催行している「神田川周遊クルーズ90分」を予約した。乗船料は、名調子のガイドがついて、平日は1人2500円(土日祝は2800円)。
30席ほどの乗客席はほぼ満員の盛況ぶりだった。
クルーズ船から神田川の柳橋を眺める田中優子さん=台東区、中央区で
浮世絵などに描かれ、江戸文化の象徴だった日本橋は、昭和の東京五輪前年の1963年に首都高速道路が真上を通るようになり、太陽の光をさえぎられた。
しかし今、首都高速の地下化工事が始まり、高架の撤去が進んでいる。2040年には完全に撤去され、付近のオフィス、商業施設と一体となった親水空間が誕生する。77年ぶりの日本橋の空の復活だ。クルーズ船からは工事の進捗(しんちょく)状況がよくわかる。
田中優子さんは英国のオックスフォードに住んでいた頃、毎日、自宅アパートから眼下の水路を見下ろして過ごしたそうだ。「東京も、もう一度、水の都と呼ばれるようになればいいですね」としみじみと話していた。
出発して間もなく、常盤橋のたもとに、今をときめく新1万円札の顔、渋沢栄一翁の銅像が見えた。数年後にはこの付近に、高さ385メートルと日本一の超高層ビル「トーチタワー」が出現する。そして、その足元には江戸城外堀の石垣が残る。
歴史の重なりの上で変貌を続けていく町が、江戸であり、東京だ。水面から見上げると、そんな様相が目の前に現れて、納得する。
このトリップはおすすめだ。江戸がいっそう面白くなる。日本橋は五街道の起点で蔵が立ち並び、酒や米や鮮魚など多くの物が船で運ばれ、魚市場と青物市場も開かれた。
日本橋川は半分が江戸城の外濠(そとぼり)である。船に乗るとそのことを実感する。江戸橋を背中にして出発すると間もなく外濠に入り、常盤橋御門の石垣が見える。そこからしばらくの間、大名家の刻印などが残る石垣を見かける。船だからこそ、御門の存在が分かるのだ。
大名家の刻印が残る日本橋川の石垣=千代田区で
江戸時代には外濠の橋の多くに「御門」がついていた。橋を渡ると城内になるので、渡った場所に桝形(ますがた)の門を設(しつら)えて防備したのだ。常盤橋御門、神田橋御門、一ツ橋御門などとなる。今はそれらの間に、江戸時代よりはるかに多くの橋がかけられている。
小石川橋の御門に至ると神田川になる。しかし、まだ外濠だ。地中には神田上水が通っていた。江戸時代の水道橋からは、御茶ノ水渓谷を横切る水道が見えていた。この辺りは昌平橋に至るまで今や鉄道の道となり、船の前を丸ノ内線の深紅の車体が横切っていく。
聖橋をくぐり神田川を下るクルーズ船。前方に丸ノ内線と中央線快速の車両が現れた=千代田区、文京区で
神田川(外濠)が終わるといよいよ隅田川に出るのだが、その交差点にある柳橋には、独特の風情がある。両岸にはぎっしりと屋形船が停泊し、料理屋が立ち並んでいた江戸時代を彷彿(ほうふつ)とさせるのである。
隅田川に出ると、その広々とした景観が素晴らしい。江戸を支える偉大な水路であることがわかる。(江戸学者・法政大前総長)
日本橋界隈(かいわい)には元々、西堀留川、東堀留川の水路があり、両岸には材木商や畳屋などが立ち並び、物流の拠点となっていた。昭和になって相次いで埋め立てられて姿を消したが、痕跡をとどめているのが、東堀留川の跡地にできた堀留児童公園(中央区日本橋堀留町1)。川を模した水路があり、往時をしのべる。
文・坂本充孝/写真・田中健
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